NANA色の風~九州から(管理人のひとりごと)

全肥商連九州のホームページ管理人が、日々徒然なるままに感じたことを書いています。掲示板の閉鎖に伴い、そのタイトル「NANA色の風~九州から」をこちらで使用することにしました。

 面白い本を読みました。平野卿子・著『女ことばって なんなのかしら?「性別の美学」の日本語』という本です。
 最近、洋画を日本で公開される前に早く観たくて、たまに英語の字幕を翻訳してみたりするのですが、単純に字幕を翻訳して本編に被せてみると男の人が女ことばを使ってたり、その逆もあったりして違和感を感じることが多々ありました。
 そんなことで英語には女ことばがないということを実感したところに、本書の「世界的でもあまり例がないといわれる日本の女ことば」という書き出しから始まる諸例、諸説は興味を引かれるものばかりでした。
 女ことばの起源は古くなく明治時代だという話に驚いたあとも、永く男社会が続いたことが「人=男、男≠女」ということから女性に使われる言葉が沢山出来上がったことなどが紹介されていました。
 例えば「少年、少女」という言葉は何故「少男、少女」ではないのかとか、「女」偏の漢字は沢山あるのに「男」は偏や部首ですらないというのも、上記のような成り立ちがあったからだと(その証拠に「男」偏の漢字が無い代わりに「人」偏の漢字は沢山あります)。
 日本語と外国語の違いや日本と西洋の考え方の違いも紹介され、さらにはジェンダー問題にまで話は繫がっていきます。
 子供の頃、道徳の時間に「男子は男らしく、女子は女らしく」と教えられてきた私たちの世代にとってはなかなか頭の切り替えが難しい問題ではありますが、「性差はグラデーション」だということをしっかり脳みそに叩き込んで日頃の言動に気を付けていきたいと思った次第でした。
 ちなみに平野卿子(ひらのきょうこ)氏はドイツからレッシング翻訳賞を受賞するほどの独→日翻訳家で、日本語と格闘しているうちに関心がドイツ語から日本語へと移っていったのだそうです。
 おまけでもうひとつ、面白く思ったことを書いておきます。日本語は主観的で、外国語は客観的だという話です。
 例えば「Don’t you like it?(好きじゃないんですか)」という否定疑問文で訊かれたときの答えは、自分が好きじゃなかったら「はい、好きじゃありません」ですが、英語だと「No, I don't」です。
 あるいは道に迷って人に尋ねるとき、英語では「Whera am I?」と言うのに対し、日本語では「ここは何処ですか」というのが普通だと本書には書かれていました。
 さらには著者の経験談として、曜日を間違えて大学に行ったら「誰もいなかった」とドイツ人の友人に話したら、その友人が「でもね、あなたはいたんでしょ?」と笑われたという話も書かれていました。
 こんな面白い話が沢山載っている本書、一気に読んでしまいました。
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 業界紙「商経アドバイス」(本年1月15日号)に「昨年のコメ業界10大ニュース」を綴った記事が載っていて面白く読みました。
 記事には以下の10大ニュースが取り上げられ、

 ①、5年産の作付転換も目標を超過する深掘りを達成
 ②、2年連続の米価上昇
 ③、全国各地で高温障害が発生
 ④、特定米穀(くず米)の大幅な発生量減少と取引価格の高騰が進行
 ⑤、外国産SBS米・MA米の活用拡大
 ⑥、長期に及んだコロナ禍の終息に伴うコメ需要回復
 ⑦、地方自治体の現物支給によるコメ支援事業の実施
 ⑧、消費税のインポイス制度がスター卜
 ⑨、みらい米市場がオンラインによる取引を開始
 ⑩、農政の憲法「食料・農業・農村基本法」の改正論議が進行

 この内①、③、⑥が原因で②の米価回復基調が見えてきて、そこに④もあって⑤の流れにつながったとか、値上げラッシュから⑦が広がって米穀店が影響を受ける事態もある中、ほとんどの米穀店が⑧の為に免税農家からの仕入対応に苦労することになったと書いてありました。
 また米価安定が期待されたコメ先物取引が自民党によって廃止に追い込まれ、⑨のような現物市場が誕生したし、新年には⑩が国会成立へと向かうといったことも。
 これらを受けて記者は「国民主食の安定供給に欠かせない稲作農業と供給態勢の将来は、本当にこのままの政策に託していいのか。問い続けたい。」と文章を結んでいました。
 同感です。悪しき農政トライアングルが、またぞろ日本農政を「NO政」化しているのではないでしょうか。
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 ご無沙汰して申し訳ありません。久々の投稿になりました。だというのに、またまた映画の話になってしまいました。
 先日亡くなられた脚本家山田太一さんのドラマ『早春スケッチブック』(1983)は、幼い頃に別れた実父(山崎努)が突然現れ受験生の息子と交流を持つ中で、周囲の人達に「ありきたりなことをいうな。お前らは、骨の髄までありきたりだ」などと鋭い毒を吐き散らす話で、毎回それを楽しみに観ていた記憶があります。
 そんなドラマの中に、ずっと忘れられずにいる台詞があります。
 庭で廃品を燃やしながら山崎努が息子に「映画が見たい。一本我慢する。二本我慢する。三本我慢する。四本目に、これだけは見ようと思う。見る。そりゃあんた、見る力がちがう。見たい映画全部見た奴とは、集中力がちがう。そういう力を貯えなきゃーいけない」という台詞です。
 子供の頃少ない小遣いをやりくりして映画を観にいってた私には、それが強く胸に響きました。
 しかし、この台詞には続きがあって、「でも我慢ばっかりしていたら、そのうち見たいという気持ちもなくなってしまう」と。まさに、その通りでした。我慢し続けていると、観たいという気持ちそのものも萎えてしまうのです。これは、グサリと刺さりました。
 私が若かった頃に比べれば、観たい映画が簡単に観れる今の状況は夢のようです。そんな今だからこそ余計に、自分の観たいという気持ちを大事にしながら観たい映画を観るようにしなきゃとあらためて思いました。
 そんな折ある記事で、「2023年映画興収ランキングTOP10」という今年日本の映画館でより多くの人に観られた作品10本を知り、軽く驚きました。そこに私の観たいという気持ちとの大きなギャップを感じたからです。
 多分このランキングには、山崎努の台詞でいうところの「見たい映画全部見た奴」に近い人達の数字が、大きく反映しているのではないかと解釈してみたのですが如何でしょうか。
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 今回も映画の話です。それも熟年世代にピッタシの映画を観たという、若い人、映画に興味のない人には本当に申し訳ないのですがどうしても書いておきたくなったので。
 それは、サム・メンデス監督の『エンパイア・オブ・ライト』(2022)という作品です。1980年代初めのイギリス、海辺に建つ映画館が舞台の、そこで働く熟年女性ヒラリー(オリヴィア・コールマン)が主人公で、双極性障害(躁うつ病) という病気を持つ彼女が恋をするという話です。

 何よりも映像が綺麗で、バックで流れる音楽がいいんです。当時流行っていたザ・スペシャルズ等のヒット曲が何曲も流れているのですが、ヒラリーのシーンにはジョニ・ミッチェルやキャット・スティーヴンス、あるいはボブ・ディランといった65~70年頃の曲が流れるんです。
 さらには舞台が映画館ですから、そこには『オール・ザット・ジャズ』(1979)や『ブルース・ブラザース』(1980)、あるいは『レイジング・ブル』(〃)や『エレファント・マン』(〃)等の看板やポスターが映り込んできます。そして『スター・クレイジー』(〃)と『チャンス』(1979)に至っては、その一部がスクリーンに映ります。
 観てるうちに心は若い頃、学生時代に逆戻りです。
 ヒラリーが恋する相手は、大学受験に失敗し、映画館で働くようになった黒人青年or少年スティーヴン(マイケル・ウォード)です。年の差ン十歳。しかもヒラリーは決して美貌の持ち主でもありません。
 この点をマイナスポイントに挙げているレビューもありますが、私はそうは思いません。学生時代に大人の女性へ憧れた気持ちを思い出せるからです。スティーヴンは純粋に彼女を愛しただろうし、実際世間体を気にして傷付いたのはヒラリーの方でした。
 そんなアンバランスな取り合わせだからこそ、そこに通い合う愛情はとてもピュアで、それはヒラリーの同僚やスティーヴンの母親さえも感じ取ることができるくらいに深まります。が、・・・。

 ちなみに当時のイギリス社会では、ブリクストン暴動等、若者によるモッズカルチャーや失業や貧困などを要因とした暴動が頻発していました。失業の原因は黒人や有色人種が自分たちの仕事を奪うからだといういうことで、スティーヴンもその被害に遭ってしまいます。

 映写技師(トビー・ジョーンズ)がスティーヴンに映写の説明をするシーンも印象的でした。
 彼は「カーボンとカーボンの間の放電が光を作る。光がなければ何も起こらない。映画は静止画の連続で、その間には暗闇がある。でも視神経には少し欠陥があって、1秒24コマでフィルムを回すと暗闇が見えなくなる。静止画を高速で連続表示すると、動いてるような錯覚を起こす」と語り、そうやって映される映画を「Illusion of life(命が宿る幻影)」だと称してカットが切れます。
 現在の映画館は殆どがデジタル上映に移行していて、フィルムの映画を観ることはなかなか出来ません。しかし今でも映画が「Illusion of life」であることに、変わりないのではないかと思うのですが如何でしょうか。

 またこの映画の中に、自分が何故映画が好きになったのかの答えを一つ見付けました。
 醜態を晒し傷付いたヒラリーに、スティーヴンが映画を観ることを勧めます。「お客さんを全員席に着かせたら、自分もその真ん中に座ればいいんだ。周りは君を知らない人、会ったこともない人ばっかりで、誰も君を見やしない」と諭します。
 そして、「That little beam of light... is escape.」と。字幕では「暗闇の中の光に…現実を忘れる」と出ていました。その和訳もとても素敵なのですが私には、「Illusion of life」を映す小さな光線が、恥や自己嫌悪で苦しむ自分を新しい自分へと逃がしてくれる・・・と聞こえました。だから自分は、映画を観るのかなと。

 映画の感想を長々と書いてしまいましたが結論は、たまには映画を観てみませんかいいもんですよということでした。ありがとうございました。

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・今朝(8/28)の新聞に「公取委、JTを注意」という記事が載っていました。インボイス制度の開始にあたって、日本たばこ産業(JT)が仕入先の葉たばこ生産農家の免税事業者に対し、一方的に取引価格の引き下げを通告したことについて公正取引委員会が注意したというものでした。
 先日、農家からコメを仕入れてるお店の方と話をしている中で、免税事業者のコメ農家に対してその方が「消費税分は農家に渡さない」と仰ってたのを思い出しました。
 その時はその方に、ちゃんと話し合って価格を決めないと公取委から注意されますよ的なことを話しはしましたが、こうした記事を示してあげれば説得力も増したのになァと思いました。
 免税事業者の農家としても作物の生産にかかる出費についてはその都度消費税を払っていますので、その販売時に消費税分の金額が貰えないというのは確かに不公平です。
 かといって、その農産物を課税事業者と同じ価格で取引すれば、仕入れる側は控除どころか消費税額を二重に支出することになってしまいます。
 免税事業者の農家から仕入れてる業者はまず話し合って、消費税を含んだ適当と思われる取引価格を合意することが必要だということではないでしょうか。
 10月には始まるインボイス制度、まだまだ周知が足りてないようです。

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